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- 縁story - 商品とのご縁について

 
信州・飯田 はと錦のお菓子

信州・飯田 はと錦

はと錦 店舗
「はと錦」は、長野県飯田市に明治25年創業、128年目を迎える“老舗”です。「はと錦」と名乗るようになったのは、兄が、東京での修行を終えて父の店を継いだときかからです。私が高校2年生の時でした。

「はと錦」の店に行くと、その品数の多さに驚きます。東京には、あんなに種々雑多な菓子がを売っている店はないと思います。デパートの地下を思い浮かべていただくとわかりますが、東京では、「この店はこれ!」という一押し商品があって品数もほんの少しという店が多く、それぞれの店が専門特化しています。「はと錦」のように、和菓子、洋菓子、煎餅、団子、赤飯、、、そんなに何でも売る店は東京にはないと思います。兄がいうには、田舎では、品数揃えないと売り上げが上がらないのだそうです。

なんだか、こう書くと粗製乱造で味が心配、と思われるかもしれませんが、手前味噌になりますが、味には自信がございます。

「風の旅行社はついに菓子まで売り始めたか。大丈夫か?」とご心配されるかもしれませんが、今の状況では、そう思われても仕方がありません。現在、旅行に関しては、全く仕事がありません。国内旅行が少しずつ始まりそうですが、海外旅行となると全く目途が立ちません。

スタッフの負担にならずお客様とつながりたい。そんな思いで、まずは「はと錦」の菓子を第一弾として販売してみることにしました。ぜひ、ご賞味いただければ幸いです。

風の旅行社代表 原 優二(2020年5月)

魚津の海

越中・魚津 ハマオカ海の幸

ハマオカ三姉妹
山々に降る雨や雪の伏流水が海底からも湧き出し、富山湾のなかでも、特に豊かな漁場となっている魚津。“ハマオカ海の幸”は、この魚津漁港の真正面に店を構え、干物や冷凍魚の卸売・小売業を営んできました。先代が浜岡清商店を創業して以来、70年を超えて、富山湾の恵みと魚のおいしさを伝えています。

日本人の魚離れが進んでいると言われるこの頃。“魚を日常の食卓に取り戻したい”これは、ハマオカが使命と捉えていることのひとつです。魚の味わいを凝縮した、おいしい干物は、日本の食文化に欠かせないもの。最初に食べたもので好き嫌いが決まってしまうからこそ、小さな子供たちにも“魚”のおいしさを伝えたい。未来に引き継ぐためには、まず、お母さんに食べてほしいと、干物をおいしくたべるためのレシピも公開しています。
目の前の富山湾の水平線を見つめながら、富山湾の恵みを多くの人に伝えるため、そして、かけがえのない“魚”の食文化を未来にわたってつないでいくため、私たちがなすべきことを考えています。
 

「越中魚津のしおもん屋・ハマオカ海の幸」と風の旅行社

魚津市の隣町、上市町の観光協会の澤井さんには風カルチャークラブのツアーの企画や手配でたいへんお世話になっています。川崎一洋先生が講師の「日石寺の磨崖仏・不動明王を訪ねる」や悠々ニッポンの好評講座「御持仏を彫る」などを一緒に創りあげてきました。
実は澤井さんは、魚津市出身で、エコツアープロデューサーでもあります。その澤井さんから、上市町の仕事とは別に「魚津の海の幸のツアーを創りましょう。」と提案があり「まずは魚津の“しおもん屋”に行きましょう。」と誘われました。「しおもん屋」という響きにおもわず、白いご飯とお酒が頭の中を駆け巡りました。
お店を訪ねると、スタッフはハマオカ三姉妹ほか同世代の女性がほとんどを占めています。専務取締役の浜岡愛子さんは、自社の商品「熟成寒の汐ぶりスライス」で富山大学ビジネスプランコンテスト最優秀賞受賞し、「日本に古くから受け継がれている魚食文化。干物を通しておいしい幸せをお届けしたい、という気持ちで日々頑張っています。美味しい食の背景には素晴らしい地域に受け継がれた自然や文化があること。すべてが繋がって美味しい干物をお届け出来ます。」と熱く語ってくれました。魚津がふるさとの澤井さんはただ黙って、にこにこしているだけでした。

そして、2021年の秋に「富山湾の奇跡と魚を五感で堪能−秋編−」というツアーを8月頃HPに公開します。

せっかくのご縁です。富山湾の奇跡を、ここにご紹介したいと思います。お楽しみに!
(風カルチャークラブ・水野恭一 記)

シリア アレッポの石鹸

「アレッポの石鹸」と風の旅行社について

「アレッポの石鹸」は、シリア第二の都市アレッポの特産品として1000年以上前から作られていました。オリーブオイルとローレルオイルで作られたシンプルな石鹸です。
全国、いろいろなところで売っていますからご存じの方も多いと思います。実は、「アレッポの石鹸」と風の旅行社は、とても“古いご縁”があります。「株式会社アレッポの石鹸」は、風の旅行社の名付け親であり創設者である比田井博が作った会社。そういう意味では、「アレッポの石鹸」と弊社は兄弟会社といえます。
比田井は、いくつかの会社をつくっていますが、つくっては誰かに任せ、自分は次々に新しいことに挑戦していく、そんな人でした。彼は、アレッポにも何回も足を運び、単に輸入するのではなく、製品の素材や職人の技術を生かしてもっと上質なものを、現地の人間たちと一緒になって作って日本に持ってこようとしていました。貿易商で金を稼ぐということには興味がなく、伝統的な技術を生かして商品化することに喜びを感じていました。もちろんオーガニックでもあります。

確か、最初にアレッポから石鹸を持ってきて販売したのは1994年頃だったと思いますが、テレビで取り上げられ有名になると、アレッポの市場まで行って、山積みになっている石鹸を輸入して販売をする会社もいくつか登場したように記憶しています。日本で長年売っていくには、品質の良さはもちろんですが、品質が安定していることが鍵になります。現在は、ローレルオイルの配合比率によって、ライト、ノーマル、エクストラ40の3種類がありますが、もう25年以上ご愛顧いただいている商品です。

ご存じのように、シリアは内戦が続いておりますが、加えて、このコロナ禍にあってどうしているのか心配は尽きません。やっと、縁shopでの販売準備が整いました。どうぞお楽しみに!

「アレッポの石鹸」ホームページへ

モロッコネパール ナイアード

ナイアードと風の旅行社

株式会社ナイアードは、風の旅行社の創設発起人であり初代オーナーの比田井博(故人)が経営していた会社です。現在は、その姉妹家族が経営を担っておられます。そういう意味では、風の旅行社とは、株式会社アレッポの石鹸と同様、いわば兄弟会社にあたります。
比田井の口癖は、「世界には伝統的でオーガニックな素敵な商品がいっぱいあるんだ。それをさらに磨き上げて上質な品物にして日本に持ってきたい。」でした。伝統的でオーガニック、上質な品物に仕立て上げる。そういった精神はネパール「つきのいえ」や「はなのいえ」にも活きています。両方とも比田井博が心血を注いで造った“いえ”です。 現在、ナイアードが扱う商品は、モロッコ、ネパール、インドの商品が主ですが、ネパール、モロッコに関しては、NEPAL KAZE TRAVEL(NKT)、KAZE VOYAGE MOROCCO(KVM)が関わっています。同社のコンセプトは弊社の商品づくりと共通するところが多々あります。

そんな縁で、この度、風の縁shopに商品を提供していただきました。弊社のスタッフが、あれこれ試して、お勧めの商品セットにして販売いたします。是非、お試しください。

株式会社ナイアード ホームページへ

新セットの販売に寄せて(企画スタッフより)
ゆらぎ期の真ん中で、少しでも快適に
天童ひまわり園 コーヒー

山形・天童 天童ひまわり園

自家焙煎コーヒーを作っているのは山形県にある「天童ひまわり園」。知的障がい者のための通所施設です。大量販売こそできませんが、一粒一粒、丁寧に手作りされるコーヒーをぜひご賞味ください。

元・風の旅行社スタッフ 岡本(但野)詩帆さんよりメッセージ

わたしが勤務する天童ひまわり園には、知的障害を持つ利用者さんが通っています。程度の差はありますが、みなさん日常的なコミュニケーションに不自由なく、着替え・排泄・食事・入浴など身辺自立されている方々です。わたしはひまわり園のみなさんと主に段ボールの仕切り組み作業やコーヒー製品の生産作業を行っています。

実は、ご縁あってこちらに採用されるまで、わたしには知的障害を持つ方との接点はほとんどありませんでした。それまでは知的障害者と思われる方を見かけるとなんとなく「こわいな」「かかわりたくないな」と避けてさえいました。

「知的障害者」とか「外国人」のような大きなくくりだけで捉えると、その中の一人ひとりの顔は見えてきません。名前も知らない、顔も見えないのっぺらぼうの「集団」は得体が知れず近寄りがたいものです。ですが、「園で一緒にコーヒー生産作業をしている〇〇さん」とか「モンゴルKAZEのハグワさん」のように良く知った「個人」に対してはそのような気持ちにはなりません。

具体的に思い浮かべられる顔や声、一緒に過ごした時間がある。その人の癖や趣味、困りごとを知ったり、友人や家族についての話題を共有したり。そんなひとつひとつの積み重ねが、わたしが「知的障害者」に対し漠然と抱いていた「こわい」気持ちをほどいていってくれたのかなと思います。

「知らない」ことは不安や警戒、誤解などのさまざまな負の感情や色眼鏡を与えがちです。一方、「知る」ことで世界観は変わります。ひまわり園での日々の中で、自分の無知・無関心が無自覚な偏見や差別を生み出していたことに気づけたのは大きな収穫です。「知らないし関係ない」で済ませず、もっとお互い「お知り合い」になれたら、もっとずっとやさしい世の中になるかもしれません。
 
岡本(但野)詩帆
1999年10月、風の旅行社入社。主にモンゴルツアー担当として東京本社で約3年間もまれる。モンゴルとの出会いは大学時代。騎馬遊牧民族の颯爽とした生き方に魅せられ、日本語教師としてウランバートルで2年ほど過ごした。風での思い出は、ツアー添乗中などに体験した数々の珍道中でしょうか(笑)。モンゴルではバスがパンクして草原を歩いて移動したり、強風でテントが飛ばされかけて近くのゲルに泊めてもらったり。ブータンでは雨でぬかるんだ道でバスが動けなくなったり、ネパールでは軽い高山病も体験しました。バイカル湖畔滞在中に火災で宿から焼け出されたのも得難い思い出です。ハプニング好きとしては、ありきたりな観光だけでは味わえない唯一無二の体験が埋め込まれている風のツアーが大好きでした。あの時のみなさんはお元気でしょうか。
岡本(但野)詩帆さん
五郎兵衛さんのお米

信州・佐久 五郎兵衛さんのお米

“まぼろしのお米” 五郎兵衛米

五郎兵衛さんのお米 生産者のみなさま
信州佐久の五郎兵衛米「五郎兵衛さんのお米」を取り扱わせていただくことになりました。(株)みまよせ (株式会社御馬寄育苗センター)さんが、提供してくださいます。2010年にラオスのツアーに参加してくださったお客様とのご縁で実現しました。

五郎兵衛米は信州産のコシヒカリです。江戸時代初期に五郎兵衛真親氏が私財を投げ打って開削した五郎兵衛用水によって新田開発された400haほどの五郎兵衛新田で作られてきたお米です。一般の流通には乗らず“まぼろしのお米”といわれてきました。

「五郎兵衛用水で運ばれる蓼科山からの清流、足が抜けなくなるほどの重粘土の土壌。厳しい冬の寒さを乗り越え迎えた春、五郎兵衛田んぼも動き出します。重粘土の土壌により、水分・養分がしっかり蓄えられ、日照時間の長さ、朝晩の寒暖差により甘みが増し、粒のしっかりした粘りのある美味しいお米が出来上がります。農薬・化学肥料を50%以上減らした安心な特別栽培のお米を皆様にお届けしています」。(株式会社御馬寄育苗センターのHPより転載)

減反政策と五郎兵衛米
米の生産調整(減反)は、1970年に始まり2017年に終了しましたが、2018年からは都道府県が独自に生産数量目標を設け市町村にその目標値を配分する方式に代わっています。50年近く続いた減反は、私が、中学2年生の時に始まりました。いまでも授業で減反のことが取り上げられた時のことを覚えています。何故?という疑問が強く残ったからです。減反を受け入れ米を作らなければ補助金が貰え、他の作物に転換すれば奨励金をもらえるってどういうこと? そもそも米を農家から高く買い安く市場に流していた逆ザヤ方式も含めて不思議としかいいようがありませんでした。
1955年に中津村・五郎兵衛新田村・南御牧村が合併してできた浅科村(あさしなむら)は、2003年、佐藤治郎村長が米の生産調整(減反)から離脱すると全国で初めて表明した自治体として一躍名を馳せました。同村長は「ブランド米を自由に生産、販売し、消費拡大につなげたい」としたのです。それが五郎兵衛米です。
浅科村の強粘土質の土壌は転作作物には向かず、割り当てられた減反面積を他の自治体に有償で肩代わりしてもらう「地域間調整」でやりくりしてきましたが、それが村の財政を圧迫していたのです。結局、農協などの反対により離脱方針は撤回されましたが、五郎兵衛米というブランドは、全国に知れ渡るようになりました。
戦後の食糧難を米の増産によって乗り越えていったのに、食習慣の急激な変化が齎した大幅な米食減により過剰生産となり減反政策に追い込まれました。その結果、手厚い補助金によって保護される代わりに、自由に米を作ることもできなくなりました。今、ここで減反政策の功罪を論じることはできませんが、日本人は、多少なりとも米への信奉心を抱いているように私は思います。そのせいではないでしょうが、美味しいお米を食べたときの満足感は他とは比較になりません。五郎兵衛米、是非、お試しください。
えんめい茶

信州・黒姫 黒姫和漢薬研究所「えんめい茶」

風の旅行社とえんめい茶との「うん・めい」の出会い

縁shopで新たに販売するのは、長野県黒姫高原にある黒姫和漢薬研究所の「えんめい茶」です。その出会いもまた「ご縁」を感じるものでした。
12月上旬のある日、長野県上田市の別所温泉にある「森のくすり塾」には、風カルチャークラブで講師を務め、日本人唯一のチベット医である小川康さんと「くすり塾」の物販を取り仕切る小川さんの奥様、風カルチャークラブの水野、そして風の旅行社のチベット担当中村が集っていました。今後の講座・旅行企画の相談とともに風の縁shopで販売する商品について相談をするためです。「やはり小川さんの薬草研究の原点とも言える『えんめい茶』じゃないですかね。」そう我々が結論を出そうかとしていた時、表から「御免下さい!」という声がしました。扉を開けると、山奥の薬房には不似合いなスーツ姿の若者が「黒姫和漢薬研究所の狩野です。小川さんにご挨拶に来ました」と言うではありませんか! 意外な人物の出現に一同顔を見合わせます。

黒姫和漢薬研究所の創業者狩野誠さんのお孫さんが、少し前に小川さんが雑誌「サライ」でえんめい茶を紹介して下さったお礼がてら、上田での仕事を利用して小川さんの薬房を訪れたというのです。「実は今…」と縁shopのことを紹介、後はとんとん拍子で話がまとまりました。

黒姫和漢薬研究所では、えんめい茶は「縁」を結ぶ美味しい(うんめい)お茶、『えん・めい茶』と考えているそうです。まさに風の縁shopにぴったりの商品だと思います。
風の旅行社 中村昌文記

チベット医・小川康さんよりメッセージ

創業者・狩野誠が黒姫に入植し開墾をはじめたのは昭和22年。そして社長の生きざまと大自然に抱かれた会社「黒姫和漢薬研究所(えんめい茶)」に一目ぼれし飛び込むように入社したのは僕が25歳(1995年)のときのこと。ここで僕の薬草の学びがはじまり、後にチベット医学の道へとつながっていくことになる。

えんめい茶はハトムギ(富山県産)、ハブ茶を主成分としクマザサ、クコ葉、エンメイ草が配合された野草茶。森のくすり塾では日常のお茶として活躍し、出張講演の際はマグポットにえんめい茶ティーバック(無漂白紙)を入れて出かけている。時間が経過しても味が変化せず、経済的で、そして身体に優しい。金印は高麗人参、霊芝、エゾウコギをはじめとして効能が高い薬草をえんめい茶にブレンドしてあり、独特のコクとともに薬草風味が楽しめる。どくだみ茶は同じくハトムギ、ハブ茶を基本とし、自社栽培の甘茶を加味することでドクダミの強い個性が緩和されて飲みやすくなっている。これら三つの商品は25年前に僕が商品管理を任されていたときはもちろん、それ以前から人気を保ち続けているイチ押し商品。是非!お試しください。
小川 康 〜東洋と西洋の医学を薬学で結ぶ情熱の薬剤師〜
富山県出身。1970年生まれ。「森のくすり塾」主宰。東北大学薬学部卒。薬剤師。元長野県自然観察インストラクター。薬草会社、薬局、農場、ボランティア団体などに勤務後、 99年1月よりインド・ダラムサラにてチベット語・医学の勉強に取り組む。2001年5月、メンツィカン(チベット医学暦法学大学)にチベット圏以外の外国人としては初めて合格し、2007年卒業。晴れてチベット医(アムチ)となる。チベットの歌や踊りにも造詣が深い。2009年7月小諸に富山の配置薬を扱う「小川アムチ薬房」開店。(現在は「森のくすり塾」に改称、長野県上田市野倉に移転、開業)2015年3月、早稲田大学文学学術院を卒業。修士論文のテーマは「薬教育に関する総合的研究」 著書:『僕は日本でたったひとりのチベット医になった ヒマラヤの薬草が教えてくれたこと』(径書房)『チベット、薬草の旅』(森のくすり出版)
『チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」』を風の旅行社社サイト内で連載中。
関連記事「第189回 アマチャ〜えんめい茶〜」
小川康さん

インドネシア・バリ ルグ Rungu

ルグ Rungu と風の旅行社

ルグと風の旅行社は、1999年7月に「公益財団法人国際障害者年記念ナイスハート基金」が主催したモンゴルツアーに準スタッフとしてご参加いただいて以来のご縁です。
添乗で同行した風の旅行社代表の原は、帰国便が台風で飛ばず、空港で10時間以上を過ごし、挙句は1日延泊を余儀なくされ大変苦労しましたが、その分、お客様やスタッフの方々との縁も深まったといいます。
結果、20年以上も前の出会いが今につながり、今回、風の縁shopでルグの商品を提供いただけることになりました。

ルグ店主 紗久間さんからのメッセージ

ルグの下着はとてもシンプルです。そしてちょっと形が変わっています。
そんなルグの下着の良さを最大限に引き出して楽しむ方法は、先入観を捨てること。とはいえ、先入観は意識しずらいところにあるものなので、それを捨てろと言われても難しいですね。

では、こんな方法はどうでしょう。
旅で知らない土地に行き、自分とは違う習慣や文化、そしてその中で暮らす人に会うとき、「こうあるべきだ」という思いを持たないで臨んだほうが旅の体験が輝くことを、思い出してみてください。
それくらいの気持ちでいれば、ルグの下着の方が残りの扉をそうっと開いてくれます。そして、下着に対する思い込みどころか、自分に対する思い込みも見直すきっかけをくれたりするのです。
「締め付けないのに姿勢が良くなった」「モデルさんのように素敵に着られないと思っていたのに、着たら自分にほれぼれした」というようなご感想を少なからずいただくのも、そんなわけなのです。

旅へのハードルが上がっている今、ルグの商品を通して、慣れ親しんだことから離れてみるワクワク感やそこで発見する新しい自分を、未知な場所へ旅するような心持ちで楽しんでいただけたら嬉しいです。
ルグ店主 紗久間あや
ルグ Rungu ホームページへ
KEYCO

遠州織物 永く楽しむ服 KEYCO

KEYCO(キーコ)は、永く楽しむ服をコンセプトに、丁寧に織り上げられた静岡の遠州織物や国内の産地テキスタイルを使ったシャツを中心に展開するブランドです。
着れば着るほど風合いが増し、着る方と共にに育って行く服。親から子へ大切に受け継がれていく着物文化の様に襟の付け替えなどの工夫やメンテナンスをしながら永く楽しんで頂ける商品づくりを目指しています。
その土地土地の気候や風習の中で生まれてきた様々な織物産地を直接デザイナーが訪ね、職人の想いや生地の作られている背景などを服にのせて皆さまにご案内していきます。大量生産大量廃棄をしていないことから小ロットでの生産を行っています。 (KEYCOホームページより一部抜粋)

KEYCOと風の旅行社のご縁について

デッサン画
KEYCOはロンドン、ミラノで学び、修行されたデザイナーの福川登紀子さんのブランドです。
福川さんとは前職の先輩後輩の仲で、部署は違えど仲良くさせていただいていました。その後偶然にもお互いの退職の時期が重なり、彼女はイタリア・ミラノへ、私は転職の合間に世界一周の旅へ。その旅の途上で、ミラノのご自宅に泊めて貰ったことが今の私達の友情の起点になっています。
穏やかで物静かな佇まいの福川さんの第一印象はまさに大和撫子。今もそのたおやかさはそのままに、自分が良いと思うモノづくりを着実に進められ、数年でファッション業界の注目ブランドに成長させる情熱と確かな実力を持っている方です。
ミラノでは、彼女の描くデッサン画の美しさに感嘆し(色鉛筆の色付けの仕方で生地の質感まで分かる!)、教会や美術館で彼女の視点の深さや豊かさに触れ、服作りにおいて1mm単位の調整がいかに大切かということをさりげなく話す姿に、彼女の美しい人となりを感じさせられとても動かされるものがありました。
デッサン画
そんな人として、女性として、尊敬する福川さんが展開するブランドKEYCOの服はとても懐が深く、年代、シチュエーションを問わず、着る人に寄り添ってくれるシャツだと思います。私自身もCLAUDIA、KAREN、などを愛用していますが、職場、休日、PTA、お宮参りなど全く違う場面でも違和感なく自信を持って着られるこの頼もしいシャツ達に助けられています。
KEYCOの服づくりのコンセプト、モノづくりの姿勢など、弊社の旅作りと共通する部分もあり、今回当縁ショップでご紹介させていただく運びとなりました。永く楽しむシャツを皆様にも是非手に取っていただけたら嬉しいです。
(風の旅行社 田中真紀子記)

KEYCO 福川さんからのメッセージ

着物文化の様に親から子へ子から孫へ受け継いで行く、そんな「永く楽しめる服」を作りたいという想いで立ち上がったKEYCO。

最近は、早いトレンドの流れや技術改革で毎シーズン大量に服が生産され、同時に多くの服が速い回転で捨てられていますが、日本には繕いや染め替え・仕立て直しなど様々な工夫をしながら良い物を大切に永く楽しむ文化がありました。
それはKEYCOのものづくりをする上でのベースとなっています。一過性のファッションではなく年齢を重ねても楽しめる服、着れば着るほど肌になじみ風合いが増す服、そしてほつれができれば繕いシミができれば染め替えをしながら変化を楽しめる服。そんな着る方と共に育つ服作りを目指しています。

又、全国にはその土地土地で生まれ育った素敵な織物や染色がたくさんあります。
例えばKEYCOのBasic collectionのシャツで使用している遠州織物は織機などの機械産業が盛んだった愛知県をすぐ隣に持ち、生地をさらすのに適した遠州灘から吹き込むからっ風という環境がありました。
その場所だからこそ産まれた織物は、そこに住む人々や気候・風土・環境などいろいろな物から影響を受けています。普段は服になるとどこでどのように織られた生地なのかは分からないことが多いですが、KEYCOの服を通してどのような職人さんがどのような想いで織った生地なのか、想像を楽しんで頂けると嬉しいです。

KEYCO 福川登紀子
著書:『永く楽しむシャツ』(文化出版局)

機屋さんにて

相田義人さんのカスタム・ナイフ

相田義人さんのカスタム・ナイフ

カスタム・ナイフ カスタム・ナイフ
相田義人氏 相田義人氏 工房にて
いよいよ、世界的なカスタムナイフメーカー相田義人さんの「ナイフ」を風の縁shopで販売できるようになりました!

相田さんとのつき合いは古く、今からもう55年以上も前のこと、ある山岳会で一緒に山に登っていました。私と同い年で、沢登りやロック・クライミングが主流でしたが、当時一緒に味わった緊張した楽しみは今でも忘れることができません。その後、彼は家業(金属加工業)に入りナイフメーカーを志しながらアメリカのR.W.ラブレス氏に師事し、世界的なナイフメーカーになりました。それぞれ別々の路を歩きながら、数年に一度ほど同じ会の会員であった齋藤和英(シャモニ在住、日本人で初めてのフランス山岳ガイド)さんが帰国するたびに、お会いしました。

そして、20年ほど前に風の旅行社の「風カルチャークラブ」が立ち上がり、そうだ相田さんにナイフ製作の講座を依頼しようと、おそるおそる彼に相談すると、なにも言わずに快諾してくれました。今回の相田義人モデルのナイフの販売依頼もすぐに承知していただき、風の旅行社のために四本のナイフを製作してくれました。
カスタム・ナイフ カスタム・ナイフ
私も、相田さんのナイフを二本持っています。彼の三十周年記念の限定ナイフをむりやり頼み込んだものです。ハンドル材はスタッグ(鹿角)で、3.5インチのナイフと携帯用のリトルウイングですが、なかなか使う機会がなくリトルウイングをキャンプで数回使ったきりで、家の机の中でなかよく眠っています。
相田義人氏 相田義人氏 工房にて
このコロナの季節に一人きりのキャンプが巷では流行っているようです。自分の手のように使い込めばすばらしい機能を発揮するはずの「ナイフ」を手に取ってみる人が増えるのではないかと感じています。
「ナイフは無目的な道具である*」、とは多様な用途があるということです。魚の腹を割く、枝や竹を払う、竹串や木串を作る、缶詰を開ける、野菜や果物の皮を剥き、切る、肉やソーセージやハムを切る、などなど、相田さんは自分のナイフで髭も剃ったことがあるそうです。


見本の四本のナイフは風のオフィスの金庫に収まっていますので、ご覧になりたい方は、ぜひオフィスにお立ち寄りください。
(風カルチャークラブ・水野恭一 記)

*『アウトドア・ナイフを使いこなす』(信太一高・著 発行:地球丸)より。信太一高(しだ・かずたか)さん:写真家。風カルチャークラブの海外写真ツアーの講師をしていただきました。
世界的なカスタムナイフメーカー 相田 義人(あいだ・よしと)
1948年、東京生まれ、板橋区成増在住。家業は爪切りやカミソリ製作の金属加工業をしており、そもそも恵まれた環境にいたといえる。1977年に渡米、R.W.ラブレス氏に師事し、ナイフメーキングの基本を習得、フルタイムのナイフメーカーになった。今ではラブレスの工法とシステムに熟達し、ラブレスナイフ・真の後継者で、世界的なカスタムナイフメーカーといわれる。内外にファンが多く、注文してから手元に届くまで3〜6ヶ月はかかる。オートバイ、釣り、登山、読書、音楽、など趣味も多才。

【風カルチャークラブ担当講座】相田義人さんより直接ナイフを学び、制作する
相田義人氏から学ぶ カスタムナイフ・メーキング
相田 義人さん